私の父方の家族は、100年以上、海を越えて2つの国で暮らしている。

父は、当時、幼い弟達を養っていくために日本に残ったが、彼の兄弟の半分、3人は生まれた国、カナダに帰っていった。その中の一人、スタン叔父さんが、天国に行った。

叔父さんは、地元のカルガリーの日系人教会では、声高らかに歌う人と評判の人だった。いつも、等身大で飾ることなく接してくれた、自分らしく生きた人だった。

叔父の突然の死を通して、生きている時間のはかなさを、再び考えさせられた。

人はみないつか死ぬ。だから、今ある時間は永遠ではなく、限られた時間なのだ。

同時に、人の死は悲しいことばかりではない。

日本に住んでいる父と妹と逢えたし、ずっと会っていなかったトロントの叔父、イトコ、ニューヨークに住んでるイトコ夫婦にも逢えた。

遠くに離れて住んでいる家族と再会できる機会でもあるからだ。

特に、飛行機で何時間も離れたところにいる親戚には、そう簡単には逢えない。

今度会えるのは、いつだか分からないからこそ、共に過ごせる時間がとてもいとおしく、大切に思えるのだろう。

今、そばにいてくれる人が、明日も、明後日もずっとそこにいるという保証はどこにもない。

だから、大切な人には、大切に思っていることを、常に伝えたいと思っている。

あなたは、自分が死んだら、どこに行くのか知っていますか?