昨日の疲れをとりもどすかのように、朝はゆっくり過ごした。

Okinawa Kyukaigunhsireigo近くのバスディーポについたのは11時過ぎ。

日本に来てからは、たまにしか運転していないし、全く知らない土地でのドライブ?はまだ自信がなく、今回はレンタカーでの旅はやめて、公共のバス等を利用することにした。手始めに、まず旦那がどうしても行きたいという旧海軍司令部壕へ。一番近くのバス停でおろしてもらい目印になる看板等を探して周りを歩いてみたものの、あまりに強い日差し頭が”ぼお~”としてきた。熱中症を恐れ、タクシーで現地へ。やはり近くまで来ていた。約2~3分で到着する。

そこには教科書には書かれてなかった、すごい事実があった。その詳細は、以下の数値が物語っている。

沖縄戦による戦没者数全数、約20万人。
日本側18万8千人
・軍人軍属6万5千人
・沖縄出身(軍人軍属)2万8千人
・沖縄出身(戦闘参加者)5万6千人
・一般沖縄県民(推定)3万1千人
米軍側1万2千人

約4,000名の兵士が壮絶な最後を遂げた壕内の数箇所が当時のまま残されていた。当時は450mあったといわれ、4000名が眠るにはとても狭く、立ったままで睡眠をとったと記された部屋もあった。中でも一番印象的だったのは、昭和20年6月13日、司令官大田実少将が自決する前に海軍次官に当てておくった最後の電報だった。沖縄県民が戦争に参加し、戦ったという事実に対して、”沖縄県民に対して特別な配慮をいただけますように”との県民への思いがあふれたものだった。当時の写真を見ていたら涙でいっぱいになった。

歴史は、事実として次の世代に「正しく伝えていかなければいけない」、、、その大切さを、実感させられた。