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Yahoo 創業者の2007年の年俸は1ドル!

中日スポーツ新聞 - 父が長年「釣り情報」のために愛読している新聞で、エンタメ以外の記事をあまり見かけた記憶がない。が、珍しいことに今日は、ヤフーに関する記事が書かれていたので、気になって読んでみた。

【シリコンバレー時事】米ヤフーが4月30日までに公開した文書によると、創業者のジェリー・ヤン氏の2007年の年俸がUS 1ドル、約104円だったとのこと。

彼は昨年の6月にCEOに就任したが、数年来の年俸1ドルは変わらなかった。彼は1994年に学友とYAHOOをスタートしてから、株式上場に伴い、推定資産22億の大富豪。

一方、社長のスーザン・デッカーさんの年俸は1480万ドルに上がった。
ちなみに、シリコンバレーでは、アップルのスティーブ・ジョブ氏も年俸1ドルを貫いている。

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インテリジェンスな手書きメモ、「Quickies」で記録もバッチリ!


21世紀の付箋はこれだ!

オフィス、ビジネス、ご家庭でもいろんな風に利用できる、優れものアイテム発見!

アメリカの ambient intelligence group のプロジェクトのひとつに、こんなものがあります。

手書きのメモを、どこにでもパッと貼り付けて使える、「ポスト・イット」、「付箋」に、記録の機能がついた商品、「Quickies」を使うと、スティッキーノートに書いた手書き文字が、自動でパソコンに取り込まれるシステムになっていて、それを携帯でみたりすることもできるという、素晴らしい商品です。 現在、デモが可能ということです。


ただし、この優れもの、アイテムのネーミングがどうも困ります。

”ささっ”とできるという意味を引っ掛けているのは分かりますが、ビジネスの商品として売り出すには、ちょっと考えもの。
それでも、機能的には抜群で便利なアイテム。私もほし~い!

<参考記事、サイト>
ポストイットに書いた文字を自動でパソコンに取り込む「Quickies」
Quickies: Intelligent Sticky Notes

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日系人移民シリーズ‐波乱なる人生、チャーリーチャップリンの秘書は日本人だった。

偉大な成果を残す人の陰には、必ずその人を支える人たちがいる! 「喜劇王」の異名をもつ、チャーリーチャップリン (1889-1977) といえば、ハリウッド映画初期の俳優、脚本家、そして映画監督として有名である。ただし、そんな彼のハリウッド黄金時代を支えた人たちの中に、日本人移民がいたことはあまり知られていない。

15歳でアメリカに渡る
高野虎市(1885-1971)は、広島の裕福な庄屋に生まれる。なにひとつ不自由のない家庭に育つが、古い家のしきたりを窮屈に感じ、1900年、15歳のときに親には「留学」と称して、自由の国、アメリカに渡る。当初は従兄弟を頼りにし、雑貨店などで働きながら暮らす。

27歳で人生を変える転機、チャーリーチャップリンと出会う
1916年秋、チャップリンが新しい運転手を捜しているという募集を聞き、長年運転手をしていたコーノ氏は、直接チャップリンに申し込みをしにいく。 面接時、ベットで朝食をとりながらチャップリンはコーノ氏に「君、運転出来るのか?そうかすごいな、、、、」と言われ、即決採用。

チャップリンは特に日本人を求めていたわけでも、コーノ氏がチャップリンを好きだったというわけでもなかったようだ。チャー リー自身も、イギリスからの移民だったから、それがコーノ氏を雇った一つの原因だったのだろうか?

几帳面さ、仕事熱心をかわれて、運転手から秘書に

当時運転手としては平均の3倍以上の給料をもらっていたので、高野は昼夜を問わず働いた。女性関係も激しかったチャップリンにもとことん付き合った。ミルドレットという最初の妻は、よりを戻そうと合作し、他の男を引き込んでいた。一方チャップ リンはこれを離婚の材料にしようとたくらんだ。コーノはこの時に相手側の探偵に銃を突きつけられることになった。そんな検診な信頼を得ていったらしい。 仕事に対する几帳面さ、一途な姿勢にチャーリーは感銘をうけ、その後、撮影所の管理から家の切り盛りまですべてをまかせられる程の責任のある仕事を与えられ、チャーリーの秘書となる。チャリーの家では、一時は料理人や庭師など17人の使用人全員が日本人だったほどである。チャップリンが日本びいきであるのもコーノ氏に由るところが大きかったのかもしれない。

アメリカが日本からの移民を禁じる。
チャップリンは、コーノの長男が誕生した際には、自らのミドルネーム(スペンサー)をその名前として与えている。チャップリンは「日本人を評 して、親切で正直だ」とも語った。アメリカ政府が1924年に「排日移民法」を定めて、日本からの移民を禁じた。それでもチャップリンは日本人を信頼し続けた。 その後、「街の灯」の映画が大ヒットとなる。そのヒットによりチャーリーは、チャーリー、世界一周の旅に出る。

1932(昭和7)年5月に日本にも訪 問する。チャップリンは日本に着いた翌日、「五・一五事件」(犬養毅首相が官邸で青年将校らに襲撃され、病院で死去した事件)に遭遇している。

五・一五事件 、チャーリー暗殺計画
来日中に犬養首相暗殺の515事件が発生。チャップリンの車が皇居前を通過するときにコーノ氏は安全のために「車から降りて一礼するように」チャップリンに求めた。それは日本の風習かとコーノ氏に尋ねたが、理由も分からず従ったものの、その真意を測りかねたそチャップリンはそんなコーノ氏に違和感を覚え、アメリカにいるときは見せたことの無い高野の行動にとまどったようだ。犬養毅との面会予定をキャンセルし、チャップリンは相撲を観戦したあと散歩をしていたため、事件そのものには遭わなかったが、標的として狙われていた。コーノ氏の機転で命拾いしたのである。

その頃、高野は広島に里帰りし"故郷に錦を飾った"。碑が残されており、「在米」という文字が刻まれている。 チャップリンは訪日中、歌舞伎や相撲を楽しんだ。歌舞伎役者とともに撮られた写真には靴をはいたまま畳みにあがっているチャップリンがいた。世界的大スターのチャーリー に、靴を脱ぐ習慣をどうやって伝えればいいのかわからなかったのであろう。

18年間仕えたチャップリンのもとを去る
「モダンタイムス」に出演していた女優、 ホーレット・ゴダードの存在が次第に高野を悩ませ始めた。 ホーレット・ゴダードがチャップリンの全てを取り仕切りたがり、どんどんと高野の仕事を侵食していった。こうして、1934年、金使いの荒いホーレットのことを チャップリンに進言するが、チャップリンは聞き入れず、コーノ氏はチャップリンの元を去った。日本人に対する差別意識を持っていたポーレットに不快に思われ、それに押し切られたチャップリンによって解雇されたという説が有力である。

妻の死、事業の失敗
その後、コーノ氏はロサンゼルスのリトル・トーキョーでチャップリンの映画を日本に配給する仕事をしていたが、日本との制度の違いでうまくいかなかった。次ぎの事業にも失敗し、意欲を失ってしまう。そんな中、妻が心臓病で他界する。

スパイ容疑で逮捕される
1941年、 コーノ氏は日米開戦の半年前に突如逮捕される。日本軍のスパイ容疑でFBIに逮捕された。これは高野と面識のあったアメリカ人俳優から日本海軍の士官との面会を依頼された。アメリカ海軍の機密情報を渡したという容疑であった。 結局、不起訴になったものの、コーノはこれによってアメリカから「国家の敵となる人物」としてリストアップされた。 日米開戦後、「敵性外国人」とされた日本人、特に国家の敵となる人物とされていた高野はすぐに逮捕され、モンタナ州の収容所で氷点下20度にもなる場所で肉体労働をさせられて厳しい取調べを受けた。司法省に無実を訴える手紙を出す。1945年終戦後、逮捕された日本人の多くは釈放されたが、コーノには、以前のスパイ容疑が重くのしかかり太平洋戦争が終わった後も、収容所生活が続き1948年にやっと解放され る。すでに63歳になっていた。

日系人のアメリカ市民権回復の運動
出所後、アメリカでの市民権を奪われた日系人の為、アメリカ市民権回復の運動に力をいれ、その運動を日本側でも続けるために、72歳になってから生まれ故郷の広島へもどる。 チャッ プリンは1961(昭和36)年に来日するが、2人は再会することはなかった。このとき高野は76歳になっていた。それが最後のチャンスとは分かっていてもそれでも会いには行かなかった。逮捕され名誉を奪われてチャーリーに合わせる顔がないと思ったのだろうか?それが最後のチャンスとは分かっていてもそれでも会いには行かなかった。

チャーリーに対する尊敬の意は永遠に。。。
チャップリンとのことを本にしては、という回りの勧めにも「文字は苦手だから」と断り、チャーリーの私生活は最後まで秘して語らなかった。チャーリーに対する尊敬、敬愛は、終生変わらなかったという。 コーノは86歳で永眠。今は、遺言通り、カリフォルニアの墓 地に眠っている。

<私の曾祖父母と比べても、、、>
カナダ移民の曾祖父の一生って”すごい”と思っていたが、高野氏の人生はもっと波乱万丈だった。曾祖父も同様、戦前にはカナダでの事業に成功し、日本にも2度ほど帰国して、故郷、愛知県で土地などを購入してたようだ。戦時中は、コーノ氏同様、日本人収容所で収容された。

戦後は、自分の娘や孫が強制送還された国、同時に自分の祖国でもある”日本”に帰ることは一度もなかったが、、、。1964年にカナダのアルバーター州、レスブリッジ市近くの墓地で永眠。

私は、結婚してからアルバーター州には一度も足を踏み入れていない。いつか、まとまった休暇がとれたら今度は”夫と一緒”にバンフ、カルガリーまで”車で旅行”したい。-朝早くバンクーバーを出発してもバンクーバーからカリガリーまで最短で13時間かかる。カルガリーに住んでる90歳を超えた叔母、アンティーケーや、テイバーに眠っている曾祖父を再度訪ねてみたい。

参考 ETV特集:チャップリンの秘書高野虎市 チャップリン高野を秘書に採用チャップリン没後30年  秘書・高野虎市のこと チャップリンの日本、チャップリンと日本 - 俺はなでしこ 「高野虎市」 チャップリン チャップリンの秘書は日本人じゃ 高野虎市

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クリエイティブな空間。アメリカで最近注目され始めたCoworking Spaces!

昨年日本では、「インターネットカフェ」=カフェ難民、、、”という社会現象として注目を浴びたが、アメリカでは、カフェとインターネットのリラックスした雰囲気の空間のみでなく”そこにオフィス機能を組み合わせて、もう少しビジネス的な分野に進出したようだ。 Coworkerなら仕事場の同僚となるが、Coworking Spaceとなると誰かと仕事を共にする場所を共有することになる。バンクーバーにも、”サイバーカフェ/インターネットカフェ”があるが、ドリンクを注文すると、ワイヤレスのインターネットアクセスができるそのサービスとは違い、雰囲気はカフェのようにリラックスした感じのスペースを、ウェブ開発者やクリエーターなどの複数の人たちに、ワークスペースとして場所をレンタルしているサービスのようだ。 Google MapでCoworking Spacesを調べてみたら、西海岸と東海岸を中心に約30箇所以上あった。 (Citizen Space) クリエーターが集まる空間では、自宅やオフィスサイバーカフェとは違い、缶づめ状態で仕事をしているよりも、自然に”ブレインストーム”できたり、プロジェクトのコラボレーションなどができる=素晴らしいサービス/製品が出来上がる可能性は高いのではないかと思う。 ちなにみ、ロンドンではTHE HUB LONDONというCoworking Spaceがあるそうだ。 日本にも、こんな空間はあるのだろうか? 参考 Blogs about: Coworking これは楽しそう:Coworking Technorati , , , , , , , , , , , , Coworking Spaces

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人生はまるで福袋を開けるよう? 2008年に向けて思うこと。

1月2日の早朝から、日本では百貨店の初売りで”福袋”を買う人たちがいた。、、、、前日からラインアップしている人たちへのインタビューと実際の開店当時、すざましく駆け込んで行く人たちをテレビで見て、福袋の対しての”熱狂さ”を目のあたりにした。

英語では”Lucky grab bag”というらしい?が、しかしよく考えてみれば、これはカナダのboxing Day、アメリカのBlack Friday?と匹敵するような現象かもしれない。ただし、北米の場合、行列するのは自分の買いたいものを買うためにであるが、、、。

”ブランド物”の商品が福袋の値段よりもずっと価値のある製品達がパッケージされている。 今日も大須の電化製品街?に行ったら10万とか15万円の福袋が売っていた。それらは、普通に店頭に置かれていた。

日本に住んでいた頃は、福袋の存在はあたりまえだとと思っていたが、今となっては買いたいという気持ちが全く起こらないし、福袋の存在さえも不思議に思えたりする。

ちょっとしたギャンブル感も同時に楽しめるからであろうか?私は、カナダに渡加してからというもの、人生自体がギャンブルというか、5年、10年ごとに遊牧民のように住む場所を替えて、現地での友達も0人からスタートするという生活をここ20年くらいずっと続けているので、自分で買えるものくらい”中身の分かっている”ものがいい。

毎年、本当に今年はどんな年になるんだろう?って思う。最近では、2年前の結婚後から遊牧民風スタイルの生活というか、、、。昨年は日本に帰国し定住のビザを取得。今年もまた、年初からどんなドラマが始まるのか全く想像さえもつかない。去年、どこからともなくblognationがやって来たように、もしかしたら今年は名古屋を離れることになるかもしれない。ただ、毎年これに対応するには、かなりのエネルギーが必要となる。

自分で選んだとはいえ、福袋のように毎年、毎年、中を空けてみるまで、一体そこに何が隠されているか分からない人生。言い換えれば、見えない宝物?を手にした”ドキドキ、ワクワク、冷や汗?”一杯の、一見ギャンブルに見える人生を’確実’に歩んできたことになる。確かに、人生はギャンブルとよく言ったものである。真面目に一生懸命働いている自営業の両親から、なぜ私のような子供が生まれてきたのかは、さっぱり不可解である。

遊牧民の生活はもう十分味わった。そろそろ本格的に永住の地を見つけたいところである。

追加

asahi.com ”変わる福袋商戦”の記事によると、最近は、長蛇の列とは無縁の「予約制」や「中身が見える」は今や当たり前。なかにはあらかじめ試着で衣類のサイズを合わしてもらい、帰省に間に合うように、と年末に引き渡す店まで現れている。とのこと。

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