カナダ観光局のメルマガによると、Monkie Majikは 日本とカナダの友好のシンボル
と書かれていた。
知、、、、らなかった。
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現地はまだ6月30日だけど、一足お先にお祝いしよう!
01/07/2009
30/06/2009
『Podcast』という言葉をはじめて聞いたのは、確か2005年。
当時のバンクーバーでの生活環境から考えて、数年後に日本で暮らしてるかもしれない?なんて、頭の端にもなかった。
夢の世界というか、、、。
当時、コンピューターオタクの夫が気に入っていたPodcasterはリチャードパブさん。在日アメリカ人で番組名もHerro flom Japanという笑えるタイトルだった。彼は、ビデオキャスティング もしていた。その中の一つが赤坂の模様を録画したものだった。
ざわざわした夜の街の音。ネオンサインとかまで、なにかといろいろ懐かしかった。
もちろん、ITオタクの夫も2005年にはポッドキャストを始めていて、私はいつのまにか彼の専属のクルーになっていた。カメラマン、サウンドテクニシャン?なんでもやらされた。風の強い日などは、雑音が入りすぎてなんどもカットォー!取り直しもした。
その夫が、久しぶりに今年の春頃からポッドキャストを再開した。今度は、日本のテクノロジーについてパネリストと一緒にライブでいろいろディスカション(英語)する番組。JapanTechTalk というタイトルで、itunesからもダウンロードできると言っていた。
夫はいつも新しいテクノロジーを試すのが好きで、私はいつもその相手をさせられている。興味の有無にかかわらず、知識は身についてしまったりする。ちなみにこのポッドキャストのプラットフォームはTalkshoeという。
夫のポッドキャスト番組では、パネリスト達の知識はすごく深く勉強になる。同時に辛口コメントやジョークも結構笑える~。知らない間に番組のファンになっていたりする(笑)、、、というより、JapanTechTalkの凄みはなんといってもやはりライブの良さというか、コンテンツのよさと、緊張感がたまらない。素人の私から一言いわせてもらうとすると、音質の面で、もうすこし良いシステムに変えれないものかと思う。
システム上仕方がないというか、、、パネリストのほとんどが東京付近に住んでいるので、どこか一か所に集まって収録ということができない。その結果みんなが各自で、自分にとって使いやすい方法で番組にCall Inして話している。= 音質的な問題が起こりやすい。
その上、一番やばかったのは、ある日番組が突然、知らないゲストにハイジャック?されてしまったこと、、、。(笑)
あれには、聞いている方も冷や汗ものだった。ライブなので変な言葉を言いはじめたら超やばいっ。それはなかったけど、それから、知らない人は勝手に参加できないようになった。、、、そんなこんなの理由から、今は、音質もOKでライブで放送、録画できるポッドキャストのプラットフォームを探すために、番組を一時休止している。いろいろ試しているらしいが、なにやらBlog Talk RaidoとかTiny Chatとかいうプラットフォームには、残された課題があるらしく、、、
っていうか、テクニカルな話はここまでにして、、、。
夫と栄アップルストアーのポットキャストとの出会いは、こんな風に始まる。
<夫とPCBCのクラブリーダーとの出会い>
※PCBC = Podcast as Beginners Club の略
昨年、iPhoneを買ってから、ちょくちょくアップルストアーに通うようになった夫。ある日、仕事帰りにアップルストアーに立ち寄ってみたところ、ちょうどポッドキャストのプレゼンがあったらしい。それがリーダーの足立氏との最初の出会いだそうな。確か今年の1月の終り頃?
あれから半年後?今度は、私も交えて(一応通訳?)3人でミーティングをすることになり、私は足立さんと初めてあった。とても腰の低い、笑顔が似合う男性だった。
そんな彼は、日本ではポッドキャスターの先駆者であり、イベントプランナーであり、ウェブを見ると、ミュージシャンであり、音楽プロデュサー?? 一人で何役もこなせてしまう人らしい。
そして、その足立氏はこの夏、名古屋発のサマーツアーを開始する。それでなんと、夫はそのイベントでゲストのスピーカーとしてプレゼンをする機会を与えてもらったそうな。
なんと光栄なお話。
予約も不要、参加無料。
ポッドキャストの楽しさは試してみないと分からないから、、、
ちなみに、私が好きなポットキャストの番組は、パッと浮かんだところでこんな感じ。
☆新刊ラジオ ― 「話題の本を耳で読む」新刊JP公式ポッドキャスティング
☆”超”ポッドキャストマーケティング
☆起業家ポッドキャスティング
☆火曜日の達人たち
☆金曜日の達人たち―FM西東京 絆Vol,2―
☆ぽっどきゃすてぃんぐ落語
☆日経トレンディー
私はMP3をダウンロードして、MP3プレーヤーで聴いている。これらのポッドキャストはほとんど編集してあり?音質も良好だし、、。
ブログをこまめに書き続けるのが苦手なビジネスオーナーさんは、音でブログする?『ポッドキャスト』という方法で、情報を配信するという手を使うのも一つの方法かも?
<関連サイト>
JapanTechTalk Facebook ファンページ
Twitter
<PCBC Summer Tour 2009関連記事>
23/06/2009
『日系カナダ人のドキュメンタリーが見れるから行かない?』と妹から誘われた。
どうやってそんなニッチな情報を見つけたんだろう?と不思議に思いつつ、詳細はわからないまま待ち合わせ場所へ向かった。
待ち合わせの駅に着いたとき、名古屋外語大学で『日経カナダ人3世製作の映画、おばあちゃんのガーデン 上演と後援会』へ行くのだということを知った。
ドキュメンタリーのタイトルにはかすかな記憶があるような、、、ただ、それが日本でみたものだったのか、バンクーバーでみたものだったのかさえも思い出せない記憶。 記憶の糸をたどれないなまま、映画はスタートした。
映画の内容は簡単に言えば、”写真花嫁”としてカナダに渡り、第二次世界大戦をくぐりぬけ、故郷日本への熱い思いを抱いたまま104歳まで生きぬいたある日本女性の一生を描いたもの。
サマリーはこんな感じ。
1898年 主人公のおばあちゃんの誕生
1916年 橋本氏と恋愛結婚。女の子2人
1921年 長男が亡くなり、橋本氏の親が二人を離婚させる
1923年 それでも家族と一緒に東京で新しく暮らそうと下見にいった夫は関東大震災の為、怪我をして帰ってくる。その後、夫は「天皇さまのおそばでお仕えする」といったまま、女の子二人を連れて東京へ立つ。
1924年 義理の親が 離婚したおばあちゃんを息子から遠ざけるため、当時唯一女性が海外へ行ける方法、写真結婚を勝手に手配し、カナダへ船で渡る。結婚したが、夫は好きではなかったので、缶詰工場やいちご畑で働いて旅費をその旦那様に返し、離婚する。その後、同じ苗字、妻に先立たれた男性と結婚する。
1942年 カナダ政府に強制されて、日系人キャンプへ
1945年 アメリカの日系アメリカ人は、家に帰ることができた。
1949年 日系カナダ人はアメリカより4年も遅れて、カナダ市民権の略奪から解放される
その後、日本には何度も帰国するが、日本で骨を埋めたいという夢はかなわず、カナダはカルガリーで永眠。
ドキュメンタリーの中には、ファンタジーも含まれていて、現在と過去、夢と現実が交互する。
リンダさんによると、この映画は本来は、家族の為に作ろうと思って始めたプロジェクトだったそうが、おばあちゃんが100歳になった時に、家族に初めて日本に二人の娘がいると告白した。この事実を知った時から、ドキュメンタリーを作るアイデアが浮かんだらしい。当時、家族は『とうとう、おばあちゃん痴ほう症が始まってしまったのか、、、』と疑わず、最初は誰も彼女が本当のことを話しているなんて信じなかったようだ。
オハマ監督の祖母は、カナダに移民してから約70年過ぎても、あまり英語を話そうとしなかったらしい。それは、おそらく彼女が日本人としてのアイデンティティーを残したかったからなのだろうと彼女は思っている。
オハマ監督が、この映画を作る際に初めて、祖母の実家に着いたとき、その雰囲気というか、、、何か『懐かしい』ものを感じたという。初めてではなく、、、帰ってきたという感覚に近い。
この映画には、バンクーバーバー在住のVivian Nishiさんも製作スタッフとして参加していて(彼女のバンクーバーの自宅もアーティスト・テイストだった)、それにオハマ監督の妹と私のイコト、サリー・伊藤とは友人であることも、直接オハマ監督と話して分かった。
ちなみに、そこで分かったことだが、3年前のバンクーバーでの私の結婚式に妹は、私と夫がハネムーンに出かけている間に、家族でスティーブストンのおばあちゃんのガーデン博物館を見に行っていたらしい。なんて、偶然。
リンダさんとは、共通点が一杯ある。
彼女もバンクーバーから来ていること。
忙しい両親の代わりに、時々おばあちゃんに面倒を見てもらっていた、おばあちゃん子だったこと。
私は、彼女とは正反対に祖母の生まれた国、日本へやってきた人ではなく、
祖母の生まれた国、愛してやまなかったカナダへ飛び立った側なのである。
公演中は、彼女の熱っぽく語る英語を、通訳の方はすごく分かりやすい日本語に訳していた。素晴らしい!Great Job!
リンダ監督とは、今度、ゆっくり話がしたいねということで会話を終えた。
22/06/2009
6月19日(金)に、『名古屋発』の外国人起業家と日本人起業家を対象にしたインターナショナルなイベント、JIBE(ジャイブ)のキックオフイベントが行われました。
JIBEのイベントは、今まで、いろいろなところで行われている、起業家の名刺交換会ではなく、英会話の練習の場でもなく、インターナショナルな友達を探す場所でもありません。
実際に、起業をされている方、または希望されている方を対象にしているので、参加希望者の方には、時間をかけてご自分のビジネスに関する質問にお答えていただいております。
その後、JIBE関係者の審査を通し、イベントの意向、基準、条件にマッチする方にのみ、『招待状が送られる』というシステムを取らせてもらっております。同時に、JIBEメンバーへのセールス活動、MLM、アフリエイトマーケティング目的での参加希望の方は、お断り。
そのように、本当に100%ビジネスにフォーカスを置いた今回のキックオフイベントへの参加者は、少し、こじんまりとしていますが、関係者、通訳の方を含めて約15人くらいの方に来ていただきました。
<JIBEにはキューピットがいた?>
名古屋で働くアメリカ人のエリートビジネスマン、ジュリアン・ベイショアさんの紹介で、5月27日、外国人起業家のRobertさん、日本人起業家の高木さんが出会いました。
<JIBE代表者の出会い>
この時、お互い二人とも、生まれた国は違っても、『起業家を応援したい』という純粋な思いがあることに気がついたらしい。
<JIBEの誕生>
5月30日、Robert、彼の奥さん、高木さんと3人でいろいろと話をした結果、その日、大須のデニーズで、JIBEという名の会が生まれた。
<JIBEのシステム、仕組み>
その後、高木さんがJIBEの基礎となる、システムの基礎を作り上げてくれて、それをたたき台にして、日本人からみた参加しやすいイベントの必要条件、外国人から見た条件などを、何日もかけて、何時間もかけて話し合って、最終的な骨組みが構成された。
<で、その3人って?>
高木さんは、何もないところから頭でアイデアを構成し、システムを作り上げていくプロ、アナログのシステムプログラマー。同時に、伝えたい事を一目で分かるよう、一枚の絵で表現できる、という才能も持ち備えている。
ロバートさんは、ヨーロッパ、北米、アジアなど、いろんな国の人たちへの教育に携わっていたり、一流企業や起業家、政府の機関で働いていたこともあるので、視野がとても広い。違う文化を理解し、辛抱強くWin-Win(相互利益)の解決策を見出そうと常に心がけている人。
ロバートさんの妻は、日本生まれでありつつも、海外生活が長くいろいろな分野での経験を持つ。北米のビジネス以外にも、障害者のグループホームで働いたり、美容師の免許を所持していている。北欧、アフリカ、アジアなどのいろいろな国の人達と食住を共にしながら働いたこともあり、仕事や生活を通して国や文化、考え方の違いというバリアを乗り超えた経験を持つ。
そんな3人が集まって、スタートしたJIBE。
おそらく、普通に考えたら3か月くらいかかりそうなビジネスのロンチングイベントを、、、、なんと、約3週間でやってのけてしまった。
それだけでなく、そのイベントでは、なんと名古屋のビジネス交流会のシーンでは初めて?のデジタル名刺、POKENの名古屋のオフィシャルイベントでもあった。
イベント初回とあって、何から何まで手探り、手作り。
具体的な例で言うと、ケータリング一つを取ってみても、結構大変だった。名古屋のケータリングの常識はお弁当が多く、社交場のパーティではなく、ビジネス用に使えるオードブルを提供している会社はほとんど皆無に近い。
なにかとイベントの多い北米では、ケータリングは歩けば当たるというか、会社が多すぎて困るという問題とは正反対。
逆に言えば、これは大きなビジネスチャンスかも?名古屋でリーズナブルな値段でおしゃれなケータリングをしている会社はほとんどなく、ライバルが超少ない。日本は、出前、ケータリングと言えば、弁当なんだとビックリさせらる。
レストランに連れていく以外のオプションとして、出前のお弁当よりもボリューム並、見た目綺麗なサンドイッチとサラダとコーヒーをセットで出した方が、海外からのお客様はリラックスした雰囲気の中で、会話が進むと思う。
もっと、カフェなどが創作力でこの分野に進出して、名古屋のケータリングのイメージを一変してくれたら、とても頼もしい。
COSTCO (コストコと書いてあるが、英語ではコスコと発音しないと通じない)が近くにあれば、ある意味ケータリングしなくてもよくなるのかも?
今回のイベントは、計画通りにはほど遠く、開始時間のぎりぎりまで、イベント会場の持ち主、JIBEを応援してくれているイベント会場のオーナーの曲尾氏をはじめ、いろいろな方にギリギリまでお手つだいをしていただき、キックオフがスタートした。
参加者は、勇気のある、JIBEのコンセプトを理解してくれた先駆者の方々。
通訳の方以外に、マーケッター、ビデオ製作、オンラインマガジン運営者、オンラインショップ経営者、金粉デコ、貿易関係、デザイナー、プログラマーさんなど。といろんな方が参加してくれていた。
帰り際に、最後まで残ってくれた参加者の一人が、今日ビジネスが一つ成立したと言っていた。
素晴らしいニュースにちょっと驚きつつ、JIBEのキックオフは、幕を閉じた。
何と言っても、数週間で、「無から有を生んだチーム力」は、そうは簡単にまねできるものではない。嬉しい事に、まだ、次回の正式な案内を出してもいないのにもかかわらず、次回のイベント参加希望者が、、、。
感謝!感謝!
次回のイベントでは、フィードバックを上手く活かして、初回よりも素晴らしいものにできれば嬉しい。
参加、ご希望の方は、info@jibe.bizまで。
<関連記事>
Nagoya business entrepreneurs about to get into JIBE – with Poken!
<関連>
ウェブはまだ、アプリケーションのみです。http://jibe.biz
21/06/2009
去年の私の誕生日は、どしゃぶりの雨。
仕事から頑張って帰ってきてくれた夫の強~い勧めを断って、家で宅配ディナーをしたいと言いきった。
お洒落な事がすき?なイタリアン系の夫は、「誕生日は、いつもとは違う特別な日!」だと言って、自分の誕生日をないがしろにしようとする私の姿勢に、かなりご不満気味だった。
(当本人は、全然かまわなかったりするのだが、やはり文化の違いなのか?)
そんなこともあって、「今年は絶対に外食しなきゃっ!」という気持を持ちつつ、夕方が近づいてきた。
地下鉄に乗って、行き先を確認すると、私の予想していた「お肉がたらふく食べられる?レストラン」ではなく、なぜか、名古屋方面へ連れていかれた。
「肉じゃないんだったら何なのさ?」と疑い気味の私がそこにいた。
いっぱい食べたかった、食いしん坊の私にオシャレな雰囲気の夫が進めたのは、、、、『南仏ブッフェ』だった。
1時間以上待ったあげく、最初は、窓席ではないところに席を用意された。
夫は、どうしても今日は、私の為に窓側に座りたかったらしいので、その旨をスタッフの人に伝えてみた。そしたら、Marriott のスタッフは、席が開くなり、あっと間に窓際の席に移動させてくれた。もちろん、それからのサービスは、、、文句のつけようがなかった。
素敵な笑顔で飲み物を持ってきてくれたボーイさん。
スパークリングワインも、ノンアルコールドリンクも、結構おいしかった。
いっぱい食べて、私のお腹も、イタリアンのお腹も上機嫌。
誕生日ということで、特別に、記念写真を撮ってもらえたし、、、
メニューも英語で書かれているし、、、
なんといっても、対応の早さと、サービスの良さが素晴らしかった。
さ・す・が・ Marriott 。
週末の名古屋の夜景は、今回のディナーバッフェで楽しませてもらったので、
今度は是非、ランチにも行ってみたい!